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伊豆 ~ 日蓮伊豆法難の跡を巡る [写真]

以前、日蓮の伊豆法難の鎌倉にある史跡を巡った。今度はその流刑先の伊豆を訪ねてみることにした。

蓮着寺の最寄りの駅の城ヶ崎海岸駅は本数が少なく不便なため、伊豆高原駅から歩いた方が早くなる。30分以上歩く必要がある。
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一駅分歩いてさらに海岸まで歩くと蓮着寺に着く。ここは、日蓮が置き去りにされた俎(まないた)岩のあるお寺になっている。理由は分からないが、日蓮宗ではなく法華宗のお寺である。
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参道の途中に袈裟懸けの松がある。実際に日蓮が袈裟をかけた松は奥の院の前庭にあったが、昭和9年の火事により焼失したためここに移植された2代目だそうだ。
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境内には樹齢1000年以上のヤマモモ(国指定文化財天然記念物)がある。
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やはり日蓮の銅像があった。(ちょっと痩せてるかな?)
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本堂。山号は俎岩山。
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肝心の俎岩は、奥の院にある。
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ここが、日蓮が置き去りにされた俎岩。日蓮はこの俎岩に置き去りにされたが、たまたま通りかかった舟守弥三郎という人に助けられたらしい。ただ、確かに打ち付ける波は激しいのだが、岸まで泳いで行けないことは無い気がする。いろいろ検索してみたら、実は今俎岩と言われている岩より、もっと沖の方に本当の俎岩があることがダイバーにより発見されているらしい。なにしろ700年以上経っているので、地形が変わることもあるだろう。違う説を唱える人もいるらしいが、日蓮が入滅して60年ほどの室町時代に日朗門下の日云という人が古老の話を調査して確かめたそうなので、間違いないと思う。
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これが奥の院。
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奥の院の裏に自然研究路というのがあり、そこを少し行くと、灯明台という所に出る。
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ここからは俎岩を真上から見ることができる。
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奥の院に行く途中の道には石食いのモチの木というのがある。
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確かに石を食っているように見える。ちなみにこれは日蓮とは何ら関係が無いようだ。
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次に、蓮慶寺に行った。伊豆急で川奈という駅で降りる。
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山沿いの道路をしばらく歩くと蓮慶寺に着く。道路に面して本堂がある。ここは、日蓮を助けて約30日間かくまい給仕した舟守弥三郎の屋敷があったところらしい。ちなみに、「舟守」というのは命がけの給仕のお礼として日蓮が授けたらしく、本名は上ノ原といい、現在は「ノ」が取れた上原姓の子孫が川奈に百件以上現存しているらしい。
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ここにもやはり銅像があった。
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弥三郎夫婦の墓があったが、写真は撮らなかった。
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弥三郎夫妻は日蓮を近くの漁具を入れておくための洞窟にかくまった。蓮慶寺は山の中腹にあるのだが、洞窟は約200メートル離れた海岸のそばにあるため、結構長い階段を下りる必要がある。(帰りはここを登る必要があると思うと気が重かった。)
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ここが日蓮が約30日間かくまわれていた洞窟のあったところで、御岩屋祖師堂という。小さな建物だ。日蓮が弥三郎に宛てた手紙に「かかる地頭万民日蓮を憎み妬むこと鎌倉よりも過ぎたり」としたためられていることから、非常に危険な土地であったことがうかがわれるらしい。
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次に、仏現寺に行った。蓮慶寺のある川奈から伊東市内までバスで行く。仏現寺は、日蓮が滞在した草庵がある場所である。日蓮が川奈の岩屋に居たときに、たまたま伊東の地頭八郎左衛門祐光が熱病にかかり、薬も他宗の呪詛も効かず危篤状態になったのを、一族の意をくんだ家臣の綾部正清に頼まれて祈祷を行ったところ病気が治ったそうだ。(ただし、法華経を信じることとの交換条件だったらしい)。喜んだ地頭は、伊東家の宝だった、海から引き上げられた釈迦像をお礼にあげたらしい。日蓮はこの仏像を入滅の時まで肌身離さず隋身仏として持っていたらしい。病気を治してもらったけれども罪人として扱うよう鎌倉から厳命されていたため地頭の邸宅に泊めるわけにいかなかったため、地頭の鬼門よけとして建てられていた毘沙門堂に住まわせたらしい。
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境内を奥に行くと、草庵の跡がある。ここで日蓮は赦免状が出るまでの約3年間を過ごしたらしい。42才の厄年のときに鎌倉に帰ったため、厄除けの御祖師様とよばれているとか。
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天狗の詫び状、というのがあるらしいが、見ることはできない。
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次に、仏光寺に行った。仏現寺からは歩いて目と鼻の先にある。
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ここは、地頭の伊東八郎左衛門祐光の邸宅があったところらしい。つまり、仏現寺と同じエピソードを由緒としている。最初、こんなに近くにあって同じ由緒だし、どこが違うのかよく分からなかったが、仏現寺は日蓮の滞在場所、仏光寺は地頭の屋敷跡で、海から出現した仏像があったところということか。日蓮が初めて祈祷を行ったという場所でもあるらしい。ただ、日蓮宗としては霊跡寺院としていないようだ。
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当時は伊豆と言えば流刑地にされるような陸の孤島だったろうが、いまではすっかり道路も整備されて逆にリゾート地になっているのはおもしろいとおもった。





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